融合科学が目指すもの −昆虫、カオス、学習、そして進化−

講師:嶋田正和(進化生態学
コメンテーター:池上高志(複雑系科学)
日時:2007年12月21日(金)18:00〜20:00
場所:15号館4階 409


 2007年最後の授業日の夕方、クリスマス用のお茶菓子を用意した409室にて、第1回広域セミナーが開催されました。一週間前の告知であったにもかかわらず、多くの学部生・院生・先生方による、興味深い議論が展開されました。講演者の嶋田先生はマメゾウムシ、寄生蜂などの個体数動態・採餌行動や繁殖行動といった進化生態学を中心に研究されています。また、嶋田研究室は実験室実験を行うだけではなく、野外調査さらにはモデル解析を併用して生物集団の生態と進化に複合的な視点からアプローチをされているところが特徴です。今回のセミナーでは、嶋田先生の研究テーマである、
1. 集団のダイナミクスと共存の三体問題
2. 内部共生系の進化
3. 記憶と学習による採餌と繁殖の適応行動:記憶と忘却の戦略
から、1と3についてお話ししていただきました。2については、『生命システムをどう理解するか』(湯島誠 編集、共立出版株式会社)の第6章に詳しく書かれています。



「食う−食われる」かは、何次第?
 コガネコバチやコマユバチといった寄生蜂は、その名の通り、宿主であるアズキゾウムシやマメゾウムシに寄生します。コガネコバチがアズキゾウムシの幼虫に寄生する、といったそれぞれ一種ずつの「食う−食われる」の二者間相互関係は、その実験系にもう一種、産卵数や選好性の異なる「食う側(例えばコマユバチ)」あるいは「食われる側(例えばマメゾウムシ)」を足して三種の競合関係にすると、その共存状態はカオス的挙動を生成します。つまり、寄生蜂と宿主の相互関係は、競合する天敵・あるいは餌種を投入することにより、二者間のゆるやかなダイナミクスから打って変った、交替振動を伴う大きなダイナミクスを生成するようになるのです。

3者系のカオス生成


 このような交替振動が起こる理由として、寄生蜂の「学習」能力が寄与しているのではないかと考えられています。あらかじめ「食う側」である寄生蜂に「食われる側」であるマメゾウムシを与え続けてマメゾウムシの匂いを学習させたのち、マメゾウムシともう一種、アズキゾウムシの幼虫から抽出した液を豆の表面に塗ってどちらを選好するかを実験したところ、寄生蜂は豆の中にマメゾウムシの幼虫が実際にはいないにもかかわらず、マメゾウムシの液が塗られた豆を選好することがわかりました。寄生蜂は、事前にマメゾウムシの寄生を経験したことで、マメゾウムシの個体数が増えているということを学習し、その後アズキゾウムシの匂いがする豆を与えられても、以前寄生したことのある匂いを頼りにマメゾウムシへの寄生を試みます。そして、マメゾウムシが少なくなると、次はアズキゾウムシに寄生する、というふうに交互に寄生先を交替することが、寄生蜂・宿主の個体数のダイナミズムに反映されるため、「食う側」あるいは「食われる側」の密度や割合の初期条件を少し変えただけでも、カオスを生成することになるのです。



戦略のシミュレーション:実験室からモデル解析へ
 昆虫はどのようにして餌を探しているのでしょうか。ハエの探索行動を自動追尾システムで解析したところ、『餌に出会うまでは素早い動き、一度餌に出会うとゆっくりとジグザグ歩行』という戦略をとることがわかりました。この戦略は餌が集団行動を取る種であったり、植物であったりというふうに、集中して分布している場合に有効な戦略です。一回餌に遭遇できたら、その周辺にも似たような餌が存在する確率は高いため、ハエは左右にジグザグと方向転換をして餌を探します。それでも餌が見つからない場合は、歩行が早くなり、転換速度も小さくなり、ストレートに近い素早い動きで別の餌場を求めて直進するという戦略に変更します。

ニューラルネットワークによる餌探索の歩行軌跡


 この採餌歩行の記憶と学習を、ニューラルネットワークモデルをつくって解析してみるとどうなるでしょうか。餌が採れたか採れなかったかという各ステップの入力に対して、速度と転換速度だけを出力するモデルをつくります。何ステップ前までの入力を記憶できるか操作して、記憶力が大きいもの(10ステップ前まで記憶できる)と小さいもの(2ステップ前までしか記憶できない)でシミュレーションしたところ、効率の面からすると、どちらも同じくらい餌をうまく発見できることがわかりました。ただし、記憶力が小さい方は反射的に採餌しているため、複雑なタスクを与えると記憶力が大きいものに比べるとうまくは採れません。例えば、同じ餌を探すにしても、?羽化したばかりのメス、?産卵可能なメス、?交尾相手を探しているオス、では採餌と繁殖行動で葛藤(trade-off)が現れます。具体的には、採餌と繁殖するための産卵場所を探すことに費やす時間のどちらをより多く取るべきか、という葛藤です。このような複雑なタスクを達成するためには、ある程度記憶力が必要となってくると考えられます。そこで実際に短期記憶(30分以内)、あるいは中期記憶(数時間〜1日)が低下しているハエの餌探索の歩行軌跡は、健常な記憶力を持つハエに比べてどのように変化するのか、というのが、現在進行中の嶋田先生の研究でもあります。
 このような昆虫の採餌・繁殖行動を観察していると、ある住み場所Aにどれだけの餌と競争相手がいるのかを瞬時にして知ることができ(「理想的な」全知性)、住み場所AよりもBのほうがよいと判断したら、場所間の移動も何のエネルギーも使わず瞬時にできる(「自由な」移動)ということを前提とした『理想自由分布』が決して非現実的なモデルではないということがわかってきます。たとえばアズキゾウムシはアズキに卵を植え付けますが、その時にほかのメスが既にどのくらい卵を植え付けているかを数えることができ、なるべく植え付けられている卵数が少ないアズキを探します。大きなケージの両端にアズキを配置し、ライバルを多く投入すると、アズキゾウムシは飛行など長距離移動をあまりしないにも関わらず、どちらか一端のアズキに偏ることなく両端のアズキに均等に産卵します。このモデルは産卵数の比の時間変化という最適化モデルでは当たり前にシュミレーションできますが、嶋田先生はこれをアズキゾウムシの個体ベースをモデルにした、構成論的なモデルを作れないかと考えています。アズキゾウムシ単体が?Rule of thumb(大雑把に餌と競争者の密度を認知できる)、?頻繁に餌場を行き来する、?記憶・学習をする、というような戦略をとって『理想自由分布』を実現しているところにヒントがあるのかもしれません。



池上先生のコメント:進化を考える面白さ
 全体で45分あまりの講演のあと、五分ほどの休憩をはさんで、後半の質疑応答が始まりました。まず最初に複雑系科学を専門とされる池上先生にコメントをいただきました。池上先生は『進化』を考える上で、実際の生物の動きとコンピュータによるシミュレーションの違いに非常に興味があるとされた上で、生物による『進化』は最適なものを保持するものなのか、それともカオスであるのか、その二つの現象をどう捉えていけばいいのかということを問題提起されました。すなわち、『進化』を考えるうえで、生物の最適化行動とカオスは別々のものなのか、あるいは統合的に見ていくことは可能なのかということです。
 また、二点目として昆虫の行動を見ていると、そこには意味解釈ができる構造があるということが嶋田先生の研究から示唆されているのですが、はたして昆虫など一般的に下等な生物と見なされる生物と、高等と言われている生物に何かしらの普遍的な知性、自然知性のようなものがあるとは考えられないでしょうか、とコメントされました。



コメントへの嶋田先生のコメント
 最初の点について、嶋田先生はカオスも発散系ではなく、あるバウンダリー(境界)の中で生成されるものであるため、最適化行動と相関することもあるでしょうが、適応進化としての最適化とカオスは別々のものであると思うとコメントされました。また『進化』の条件とは、長続きすることであり、その中で適応進化が生じていくけれども、突然変異が起こらないと『進化』速度は遅くなることからも、カオスに陥る一歩手前くらいが、『進化』を考える上で大事なポイントなのではないかともコメントされました。
 また二点目についてはコンピュータで作ったモデルと、本物の昆虫の行動の面白さに同意を示したうえで、高等動物でないからといって知性が上等である、下等であると区別することはできないでしょうと言われました。しかし、逆に人間にできないようなことが昆虫にはできるといった別種の面白さがあると感想を述べられました。



フロアからの質問:学習について
Q.寄生蜂がマメゾウムシへ寄生するように条件づけするということですが、蜂は失敗から学ぶことはあるのでしょうか。講演では、寄生に成功したことを記憶するという成功経験を蜂は学習できることが述べられていましたが、逆に失敗の体験を与えることで、次回その失敗を避けること、あるいは失敗し続けていることを学習することはできるのでしょうか。
A.多くの学習は、むしろ失敗学習であり、たとえばあるハエに、間違えると電気版に触れてビリビリする連合学習をさせます。すると、短期記憶に障害を負ったハエは学習せずに何度も同じことを繰り返すという行動を繰り返します。
Q.しかしショックを与えるといった、ハエの行動をペナライズ(penalize)するものはむしろ自然界にあまりないため、その方法では現実世界とかけ離れてしまうのではないでしょうか。逆に、現実ではペナライズされるというような強い失敗は体験しないのではないでしょうか。
A.餌を食べることができたという成功経験は、脳内物質のドーパミンセロトニンの分泌量でわかるので、逆にドーパミンなどを投与することで昆虫の行動が変わるかを見ることはできます。
Q.それならば、電気ショックのようなペナライズが与えられているわけではない中で、失敗しているのか成功するのかわからないときは、それはハエ自身がその行動を学習しているのかいないのかは判断できるのでしょうか。
A.たとえば長いスパンで見たときに、卵を産む確率が低くなるような自然淘汰アルゴリズムとしては理解可能かもしれませんが、一日単位といった短いスパンの中で、ハエが餌に到達しないときに方向転換を繰り返したりするのを見て、その行動はハエが「学習した」ためなのか、それとも「気まぐれ」でふらふらしているのかは判断できません。

Q.学習した内容は次世代には残らないのですか。
A.学習した情報そのものは残りませんが、学習能力は遺伝します。また、学習情報は遺伝しないとはいえ、真似することによって次世代に受け継がれていきます。また、遺伝子と環境の相互作用も注目を集めている研究分野であり、興味がある人はエピジェネティクスという研究分野を参照してみてください。

 この他にも、「モデルを考える」ということの個別性と普遍性をどう扱うかといったことの議論、実験系で観測できる『進化』と、時間がかかるダーウィン的『進化』の違いについての議論や、タンガニーカ湖における進化速度の話など、幅広い視点からの議論からやや専門的な議論まで様々なトピックスが出ました。結果、予定より30分伸びた20時にお開きとなりました。



「広域」科学でやるセミナー
 学際的であるがために、「隣の研究室は何をしているのだろう」というタコつぼ状態に陥りがちな状況はもったいない、という意識でとりあえず開催してみた第一回広域セミナーでしたが、予想に反して409室にいっぱいの方に参加していただきました。マメゾウムシってどんな虫?という人から、マメゾウムシはとっても可愛い!という様々な学問的バックグラウンドを持つ人々が集まって講演を聞き、さらには議論まで行えることは「広域」ならではの試みであったと思います。嶋田先生には、45分程度で簡潔にわかりやすく、昆虫・カオス・学習そして進化について講演していただきましたが、専門知識がないとわからなかったこと、あるいは理解できなかったこともあると思います。しかし、この講演からマメゾウムシって実はすごいんだ、と興味を持ったり、あるいは自分の専門は生物ではないけれど、『学習』や『記憶』のモデルは自分の専門分野でも重要なテーマであるから、それと共有できる知識があるのではないかと学際的な関心を持ったりするきっかけづくりにも発展させることが、このセミナーのもう一つの目的でもあります。
 オムニバス「講義」とは異なり「セミナー」という形をとっているのは、このセミナーを通して講演者に「教えを請う」のはもちろん、それに対して自分は何を考えるのか、どういうふうな見方をするのかといったことまで、強いて言うのであれば「広域的考え方」を身につける場としても機能していければな、という考えによるものです。
 年明けにも、第二回セミナーの開催を考えております。是非、皆さまお誘い合わせのうえいらしてください。お待ちしております。


参考
『生命システムをどう理解するか』 湯島誠 編集 共立出版 2007年
嶋田研HP