質問

Q.図にある油の「生命現象」らしき動きをするものの、運動エネルギーはどこからきているんですか。
A.ケミカルポテンシャル、つまり化学反応で動いているだけなんで、2分くらいすると死んでしまいます。次の反応を起こしたり子供を残したりするようなシステムもいくつかは成功しているけれど、エネルギーを取り込み維持することで、死なない油、ホメオスタシス(恒常性)を持たせるのはなかなか難しい。

Q.A-Lifeを作ったとして、何に応用したいと考えているんですか。生命をつくったあと、意識の問題とか進化の発生に行こうとか考えてらっしゃるんですか
A.僕は応用は考えていないんです。僕の中では「生命をつくる」=意識とかを理解することで連続しているから。その意味では身体性を持たせて動きだすことは、intelligence(知性)について考えることでもある。

Q.わかるとはどういうことなのか。それはつまり、人間は何を「生命」と見なすかにかかわってくると思います。油も生命だと思う人もいれば、自律的に動いていてもそれは油に過ぎないという人もいると思います。原始的で油と同じ動きしかしないものでも、中を開けてみればDNAがあるから、生命だという人もいる。つまりは、人が何を生命と見なすかが問題なのではないですか。
A.そこで僕が強調したいのは、さっきも言った「寄り添うことの大事さ」なんです。たとえばある人が、相手がコンピュータだったと知らずに3年間メール交換をして、ものすごく仲良くなっていたとしよう。そして、ある時何らかのきっかけから、相手が実は人間ではなくてコンピュータと気がついた。そうしたとき、デネット(Daniel Clement Dennett)という人は、仲良くなっていたら多分コンピュータに向かって「何で言ってくれなかったんだ!」って言うと思うって言ったんです。僕は、そう言えるくらい、人がコンピュータに寄り添うこと、相互作用することが大事だと思う。ペットを飼うとか油の実験をやることによって対象に「寄り添う」ようになるけど、それは実際の研究には書かれていないノウハウなんだよね。シミュレーションとかやっていると、変数をたとえば5に変えてみようとか、ある種の直感的なマジックナンバーが最初はいっぱいあるわけなんだよね。なぜ5なのかということは説明できないけれど、それが「寄り添う」ということに近いんじゃないかなと個人的に思う。そうしたマジックナンバーをはっきりさせていくのが科学がやらなくてはいけないことかもしれない。

Q.先生は「今まで生命はできていない」って断言していますけど、「生命」が何かわかっていないのに、生命ができていないと自信を持っていえるのはなぜですか。
A.メリーの部屋っていうものがあって、メリーさんは白黒の部屋の中にいて、インターネットの白黒の画面を通していろいろな「赤」とか「青」とかいう色を知識としてよく知っている色の専門家なのだけれども、実際の赤とか青色を見たことがない。そんな彼女がその部屋から出た時に「ああ、色ってこんなものだったんだ」とわかるっていうたとえ話があります。これはクオリアについての話だけれども、主観的な経験と知識は別物だという話です。で、なんとなくだけど、同じように生命っていうのは、できたら「これが生命だ!」ってわかるような気がするんだよね。甘いかな。脳の研究者だって脳は何かってわかってないで研究している。全体として意味のあるものは、できちゃったときにはわかるんだと思う。それは構成論者たちの信仰に近いものでもあるけれども。

Q.生命とか自己組織的に動くものを作るときって、複雑な環境をどう作っていくかが大事になってくると思うんです。たとえば、勤勉な日本人的気質ができたのは、安全で温暖な日本という地域があったから、というように。
A.確かにそれは重要で、街に人工生命を連れ出すことは大事だと思う。今はまだ安全な実験室の中だけだけれども、開かれた環境へ連れていくことは大事。A-Lifeの次の目標は街にだすこと。ナムジュン・パイク(Nam June Paik)っていうビディオ・アーティストがいて、ロボットをニューヨークの町へ連れて行って、そのロボットが交通事故にあった。交通事故にあったロボットっていうのがすごく重要なメッセージで、A-Lifeも交通事故にあわせなければいけないと思う。ブルックスも交通事故に合わせるような環境には連れて行ってはいない。全部を書ききれないような環境に連れていった時に、A-Lifeがどういう振る舞いをするかを見るのが大事です。僕がアートとかをやっているのも、そういう開かれた環境の中に連れて行くということを考えているからです。