質問

Q.一般的な社会では客観的な三人称的記述のほうが重みがあると思うのですが、先生はあえて違うという考えなのですか
A.要するに、本当の意味で「客観的な記述」なんて、いったいどこにあるのかということです。計測機械があれば客観的といえるのでしょうか。たとえば犬はそれぞれ、主観的な世界に生きていると思いませんか。つまり、本来は、一人称的な主観世界がまずありきだと思うんです。それらがまずあって、やがて相互コミュニケーションを通してコンセンサスがでてきて、事後的に三人称的な客観世界が形成される。逆に三人称記述や客観世界を前提にすると、本来の一人称的な身体経験が分断されて、自分の生きる思いや実感がなくなってしまうのではないか、と思うのです。

Q.先生は第五世代コンピュータを例に出して、それは一人称的動作をしないと、心がないコンピュータであるとおっしゃいましたが、コンピュータに「心がない」と判断・評価するのも我々人間ですよね。僕はコンピュータが一人称的動作をしていると思うんですが、どうですか。
A.生物と非生物を厳密にわけることは確かに難しいですし、ある意味で不毛です。両者は同じところもあるし、違うところもある。非常にクリティカルな問題です。この問題は池上先生の講演とも重なってくるテーマであると思いますので、後でディスカッションしましょう。